「理想」「現実」「方法」「実行」に分けてみた

スクラムで出てくる振り返りとプロセス改善について考えていると、「理想」と「現実」のどっちも認識してそのギャップを埋める「方法」を適切に見つけ出した上に「実行」できることを自然と求められていて、それは大変に困難なことなのではないだろうか……と思って書き始めた。そもそも「理想」「現実」「方法」「実行」に分けてどれだけ考えているだろうかなーと。

勉強会に行ったり本を読むことは「方法」を学ぶことなんだけれど、実はその「方法」を適用することで達成される「理想」の状態についても知ることができる。自分はこれがとても大切だと思っている。どんなことをするにも最善の状態を認識できていないと、いまできることに引っ張られてしまってどうしても妥協が強く出たアウトプットしか出なくなるから。「現実」からの積み上げだけだと最終的な結果が必要なものに届きにくいと感じているのもある。ゴールに「理想」をおいて、ゴールまでの道のりまでを一定の粒度や単位に分解して進めていく方が、最も短くブレなくゴールに着けるんじゃないかなーと。
一方で「現実」の方もきちんと理解しないといけないと思っている。状況が見えていないのに「理想」だけ追い求めてもそれは無謀というものになってしまう。できないことをいきなりやろうとしてもうまくいかないし、結果が求めていたものじゃないかもしれない。より効果的でより効率的な「方法」を選び取るには「現実」を理解しておかないといけないと思うから。

「理想」と「現実」のどちらも「方法」選択に重要な要素なんだけれども、ここがあいまいなまま「方法」を選択してしまうからうまくいかなかったり、手段が目的になっているなんて言われたりしてしまうのかもしれない。 ケースがたくさん出てきそう。

  • アウトプットは出てもアウトカムじゃないってときなのかもしれない
  • なにかを複数人で進めていると他人に対してどうしてそんなことしたの?と疑問に思うこともあるけど、きっと見ていた「理想」の程度や方向性が違っていたのかもしれないし、もしかするとそもそも「理想」像が見えていないのに無理をしていた・させていたのかもしれない。
  • 視座の高さとか視野の広さっていうのは「理想」をどれだけ見れているのかってことなのかもしれない
  • エンジニアなら勉強会に参加しよう、みたいなのは社外の大きな世界で高い「理想」に触れてほしいという思いからなのかもしれない
  • キャリアパスってどう考えてる?なんて面談で聞かれるのは「理想」と「現実」をどう捉えていますか?という質問なのかもしれない

しれないしれない問答。思い当たるところがたくさん?

「実行」について……どんなに「理想」と「現実」から良い「方法」を見つけても「実行」されないと意味がないはず。なんだけれど、個人的にはコツコツやらないといけないここが難しい。どれだけ早く理解できてもやらなきゃなにもはじまらない。結果が見えた気になってるだけだとダメ……そう思って、意識してこれを書き始めたのかも。

はじめに戻ると、

「理想」と「現実」のどっちも認識してそのギャップを埋める「方法」を適切に見つけ出した上に「実行」できること。それは大変に困難なことなのではないだろうか

だから、きっと工夫の仕方や考え方のフレームワークという形で「方法」がたくさん別の名前で存在しているのだろう。けれどもそれはやはり「方法」でしかないので気をつけないといけないのかなって。

「理想」のところを目的とか 5W1H でいう Why のところに置き換えるとまた違ったことが考えられるかも?時間切れなのでまた考えてみようー